2011年6月7日火曜日

お隣のはなえさんの話



お隣のはなえさんは80代(後半だったかな?)。
なんでも知っている。
はなちゃんがデイサービスに行く日以外はお昼前の1時間ほど近所の70代~80代の有閑マダムたちがはなちゃんちでお茶をする。
はなちゃんが来い来いと言ってくれるので私も時間がある日は子供を連れて参加する。
以前お茶をいただいたし、家の周りでお茶の木をたくさん見たので
お茶の作り方を聞いてみた。
するとその週の土曜日にはなちゃんがお茶を一緒に作ってくれた。

写真ははなちゃんが「クド」をつかって火を起こしてくれている様子。
この上に鉄の鍋をのせてお茶を煎る。
煎ったお茶を手で揉んで、むしろの上に1日干しておくとお茶の完成。
後は飲む前にもう一度煎る。

家のガスレンジとフライパンで煎ってもいいし
電子レンジで乾燥させてもいいんだけどな~
と思いつつ、はなちゃんの手際があまりにもよかったし
道具が面白かったので、昔ながらの方法で。

はなちゃんは家の裏からスギの葉っぱを採ってきて
腐って放置していた杭をとってきて
竹筒があるといいんだけどな~といいながらさっさと火を起こしてくれた。
そう、全部タダだ。電気代はかかってない。
それに時間もすぐだった。
「クド」はそのまま置いておけば良いし、天気のいい日に干せば放置しておいていい。
昔はこれを1年分採った。
売ってもいたらしい。

ほんとうに先の芽だけを採ったから
新茶のとても優しいさわやかな味がする。
紅茶にしてみようと思って発酵させているのだけどどうもうまくいかないな~
今日はサンショウの葉っぱもお茶にしてみた。
これは何かにブレンドするといいみたいだ。
買ってくればすむけれど、身の回りのものを加工するっておもしろいなぁ。


 

2011年6月6日月曜日

第1回研修会「森の健康診断」無事終了しました。

第1回研修会「森の健康診断」が無事終了しました。


【森の健康診断⇒http://mori-gis.org/modules/pico2/index.php?content_id=12
参加者33人、うち片知在住者22人でした。
「ここまで地元率が高いのは珍しい」と講師の稲垣さんがおっしゃっていました。
・地元のことだから
・役だから
と参加した人も多かったようではじめは緊張した雰囲気でしたが、10分ほどかけて山を登り、山の斜面に立つともう帰れないぞと覚悟が決まり、もともと顔見知りの面々、作業が進むにつれて協力しあう雰囲気が生まれました。
午後には皆が積極的に役割をかってでて、子供のように楽しそうな声が遠くまで聞こえていました。忙しい中でしっかり山に入る一日は参加者みなにとって貴重な体験になったようです。

「人影の見える山造り」をめざすこの「水源の森」プロジェクトに光が射した感がありました。
人「影」どころか、人波に揉まれて薪をつんだり植林した経験のある世代にとっては懐かしさもあったのではないでしょうか。
今後も皆で山に入って一緒に汗を流すという経験をこの研修会でつくっていければと思います。
診断結果は以下の通りです。


午前中の診断は、今年間伐を進めている片知区に返還された50年生のヒノキ林です。
一度間伐がされている箇所ですが、相対幹距比は<過密>でした。間伐後のものは昨年森林文化アカデミーの学生の研修で間伐を行った箇所です。
午後には向かい側の美濃市有林に入りました。こちらも50年生のヒノキで一度以上間伐が行われていますが、<過密>の値がでました。
どちらも枯損木が見られ、1.3m以上の下層樹種は数種類(数本)しかみられず、早めに間伐を行い適正値にもっていくことが望まれるという結果がでました。


次回は7月3日です。
今回調査した箇所での保残木マーク法による選木⇒伐採です。
チェーンソーの講習も行います。


今回の研修の様子↓

2011年6月3日金曜日

板山よもやま話01

おとなりのおじさんは木を出したことがあるという。
その木でお風呂を作ったらしい。
何十年前の話だろう。

茶のみ仲間のおじさんの家は自分の山の木で建てている。
川の向こうの急斜面を指さして、
昔はケヤキがたくさんあった。うちの桁は尺上のケヤキだという。
今その山にはヒノキがびっしりと植えてある。

斜面を転げ落して木挽きさんが挽いた。
こんな大きな木があったと腕で大きく囲む。

分収契約したときには、家族総出で植えに行った。
家族が多ければいいお金になった。
伐ったお金で保育園も小学校も建てた。

みな昔の話はする。
みなの中に山を取り戻すにはどうすればいいんだろう。
昔は山に人がたくさんいた。
人がいない山は怖い。
しーんとした中に一人では居れない。
だから山に入らなくなったと隣のおじさんは言った。

だから今道をつけているんです。と私は言った。
おじさんは渋い顔をして帰って行った。
みなの中に山を取り戻すには・・・・。
と私は考える。

おじさんは梅の木はとても大事にしている。
たくさんなる実をきれいに採ってみなにおすそわけするという。
茶のみ仲間のおじさんは連れ立って山に山菜を取りに行く。
隣のおばあちゃんは山の道が荒れてわさびが取りに行けなくなったことを残念がっている。
家の周りにはタラの芽、山椒、わさび、ふき、ユキノシタ等々立派に実っている。
山の主のおじさんにわらびやこごみやよもぎを採りに連れて行ってもらった。
シキミや松の生える場所はみなが知っている。
あけびのツルが美味しいことを教えてもらった。みなはもう食べないという。
リョウブは食べれるぞ!とあるおじさんが言う。おじさんは今は食べないのに。
食べれる葉っぱや草の話はみな大好きだ。
こうやったら食べれるというのをみなが教えてくれる。

みなの中から山がなくなったわけではない。
たぶん昔から山とはそういうものだった。
生活と直結していたものだった。
木材を使わなくなっても、薪がいらなくなっても、人の生活から山がいらなくなったわけではない。
山を取り戻すと考えるから難しい。
みなに必要な山をみつけていけるんじゃないか。
それはたぶん無限にある。